「私は8人兄弟の末っ子。母親が小学校3年、父親が18歳のときに亡くなったので、兄や嫁に行っていた姉が私を育ててくれました」という種子島出身のTさん。お兄さんに見合いをさせられ泣き泣き結婚。親代わりで大事にしてくれたお兄さんには逆らえなかったのです。しかし、見初められ嫁にと望まれた相手だったので、幸せな新婚生活が始められ結果的にはよかったようです。
ご主人は種子島の農協の組合長で、お嫁に行った途端にお手伝いさんや社員、その子供たちがいて大所帯。家ではすべてお姉さんにしてもらっていたので何もできず、10時と3時のお茶の用意などでいつもバタバタ。みんなが寝静まった夜になると、大泣きしたこともあったとか。
戦後、お子さんが一人できたときに、名護市出身のご主人と、沖縄に里帰りすることに。孫の顔を見るなりお義母さんが「一人が三人になって帰ってきた」と喜んで、兄弟はもちろん集落の人みんなが公民館に集まってお祝いをしてくれたのがとてもいい思い出。それから帰省するたびに、いつも温かく迎えてくれたそうです。だから、沖縄が大好きになったと話してくれました。
ご主人は学校を卒業してすぐに大阪に出て働き、招集されてそこから兵隊に行ったそうです。沖縄が玉砕して戦友を頼って種子島で働くようになり、お二人は出会うことになったわけです。
頑張って農協の長まで務めましたが、やがてかつて住んでいた大阪に出て働くことを決意。「当時は私の兄弟もほとんどが大阪に出てきていました。正社員になるには難しい年齢でしたが、私も大きな会社に職を得て、60歳まで働かせてもらいました」。
メーカーの品質管理部門で、炊飯器の新製品ができたら、ご飯を炊いて他社の炊飯器と比べるという仕事をしたとか。上司に恵まれ、若い子たちが全部やってくれて「みんながお母さん、お母さんと慕ってくれた」そう。今だに家に遊びに来てくれるのが嬉しいと、顔をほころばせられます。
そして、半世紀経った今「ほんまに苦労したので、昔話を孫に聞かせると、また始まったと思っても聞いてくれている(笑)」と、家族に囲まれ幸せをかみしめておられます。
出生地、育った山里や海辺、進学した街、就職した都会…それぞれの地でそれぞれの思い出。生まれ育った地をまったく出ないで一生を終える人は少ないでしょう。戦争など時代の波に影響を受けた70代後半~90代の皆さん、お一人おひとりの苦労話の中から、楽しい思い出も聞かせていただけるのではないでしょうか。
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